
東北発のAIによる「放射線治療計画支援サービス」が未来の医療現場を変える
VOL.67
アイラト株式会社
日本のがん治療において、「放射線治療」は手術、化学療法と並ぶ三本柱の一つとして重要な役割を果たしている。しかし、その普及率は世界標準と比較して大きく遅れをとり、世界ではがん患者の5割から6割が放射線治療を受けているのに対し、日本では約2割にとどまっている。この格差の背景には、治療計画の複雑さと時間的負担という深刻な課題が存在する。そんな中、東北大学発のスタートアップ企業「アイラト株式会社」が開発するAI技術が、この長年の課題に革新的な解決策をもたらそうとしている。アイラト株式会社の角谷倫之代表にお聞きした。
研究者から起業家へ、技術革新への情熱
2020年から2040年の20年間で、がんになる人が50%増え年間2890万人になるという試算が出ている。高齢化により、がんを発症するリスクが高い年齢層が増加していること、そして、食生活の欧米化や運動不足、喫煙、飲酒などの生活習慣の変化などが要因として挙げられる。
この状況に対して画期的な治療法の開発が待ち望まれているが、現在、外科手術と同等な効果を出すことができるということで注目が集まっているのが「放射線治療」だ。
「しかし、必ずしも日本における放射線治療が万全な体制になっているわけではありません。2012年頃にスタンフォード大学でに留学していたのですが、そこで目の当たりにしたのは、日米の放射線治療環境の圧倒的な格差でした」と角谷代表は放射線治療のあり方を考えるきっかけとなった留学当時を振り返って話す。
放射線治療には、綿密な放射線治療計画が必要になる。CT画像やその他の画像診断をもとに、放射線の最適な照射範囲、方向、線量などを設定するというものだ。アメリカの放射線治療は体制が整っていて、治療計画を立てるスタッフだけで20人ぐらいいたという。
「しかし、日本の地方病院では放射線治療に関わる全スタッフが5人程度という施設も珍しくありません。この人的リソースの圧倒的な差が、日本における放射線治療の普及を阻む根本的な要因となっていることを痛感しました。」
そこで角谷代表が進めたのが、AIを活用した放射線治療計画ソフトの開発だ。AIにより、計画の精度と作業時間の大幅な短縮もできるのでスタッフ不足という課題に対して大きなソリューションになるはずだ。
「研究室での研究を進める中で、培ってきた放射線治療に関するAI技術が一定の成果を上がってきました。この研究開発を事業化することによってさらに放射線治療を拡大していきたいと考えました。」
しかし、大手企業との共同研究を模索したものの、日本には放射線治療を専門とする企業がほとんど存在しないという現実に直面。「これはもう自分で起業するしかない」と考え、研究成果の社会実装に向けて歩み始めた。それがこのアイラト株式会社の設立となって結実した。
AIが変革する強度変調放射線治療の計画プロセス
放射線治療において、最先端の治療法として強度変調放射線治療(IMRT)が近年普及し、高い治療効果を発揮している。IMRTは非常に優れた放射線治療法だが、大きな課題があるという。ひとつには「経験による治療成績のばらつき」さらに「治療を行う医療スタッフの不足(およびそれに起因する過重労働)」。これらを解決しないと多くの患者に実施できていない状況が発生してしまうわけだ。現在、日本でIMRTが適用されているのは約17%に過ぎず、この普及率の低さの背景には、技術的な複雑さに加えて、医療現場のマインドセットの問題も存在する。従来1時間程度で完了していた治療計画が6時間に延長されることで、医療従事者の負担が大幅に増加し、結果として新しい治療法の導入に対する消極的な姿勢を生み出していた。
従来の放射線治療計画では、医師が患者のCT画像を一枚一枚確認しながら、病変部位と正常組織を手作業で区別し、最適な放射線の照射方法を決定する必要があった。特にIMRTでは、従来の4方向程度からの照射に対し、100から200もの細かなビームを様々な角度から照射するため、その計画策定は極めて複雑で時間を要する作業となっていた。
「これに対してアイラトが開発するAIシステムは、このプロセスを根本的に変革します。システムにはCT画像、病変部位や正常組織の領域データ、そして線量分布のカラーマップといった放射線治療計画に必要なデータを学習させ、独自のAI技術により高精度な治療計画を生成することができます。」
従来6時間を要していた放射線治療計画の策定を、わずか20分程度まで短縮することできるという。この技術は、日本の放射線治療の普及率向上に大きな期待が寄せられている。
「現在、アイラトの技術開発は、明確なロードマップに基づいて段階的に進められています。段階的なアプローチにより、技術的リスクを最小化しながら、着実に製品の完成度を高めていく戦略を採っています。」と話す角谷代表。
明確な3つのフェーズに分けて進められていることが興味深い。薬事承認申請中の1号機は、頭頸部がん、前立腺がん、子宮頸がんを対象とし、正常組織の自動認識機能を搭載している。東北大学や山梨大学といった経験豊富な医療機関のデータを基に学習したAIモデルを活用することで、高品質な治療計画を短時間で生成できる。
2028年にリリース予定の2号機では、最も技術的に困難とされるがん組織の自動認識機能が追加される。これにより医師の作業負担はさらに軽減され、より精密な治療計画の策定が可能となる。また、実際の治療効果データも蓄積できるようになり、より高度なAIモデルの構築が可能になる。
そして2031年の3号機では、さらなる機能拡充が計画されており、より多様ながん種への対応や、個別化医療に向けた高度な機能の実装が検討されている。
東北薬科大学病院との連携により進めた「RatoGuide」の活用の成果
アイラトの事業展開において特筆すべきは、複数の大学医学部との戦略的な連携体制である。東北大学を基盤としながら、東北医科薬科大学、北海道大学、熊本大学など、各大学が持つ専門性や得意分野を活かした共同研究を展開している。
「東北医科薬科大学との連携では、頭頸部がんを対象とした社会実装試験が実施されています。実際の患者データを用いて、従来の手法で6時間かけて作成された治療計画と、AIが生成した治療計画の比較評価が行われ、ほぼ同等の品質を短時間で実現できることが実証されました」と角谷代表は共同研究の成果を話す。
この研究成果は学会でも高く評価され、参加した学生が症例報告で優秀賞を受賞するなど、学術的な成果も上がっている。
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東北医科薬科大学 放射線医学 准教授 石川陽二郎先生のコメント
IMRTは、精密な線量分布を駆使することで、正常組織を避けつつ腫瘍に高線量を集中させることを可能にしました。しかし、その計画作成には膨大な計算と高度な専門知識が必要であり、作業量や時間の負担が大きいのが現状です。さらに、他施設で作成された治療計画をそのまま利用することは困難という課題もありました。
「RatoGuide」は、こうした課題に対して独自のアプローチを試みています。最大の特徴は、従来の計画作成プロセスを根本的に見直した点です。従来は、まず腫瘍や臓器の位置・形状を詳細に把握し、その情報をもとに最適な照射方法を決定していました。一方、本システムでは、熟練者が作成した治療計画の「結果」を学習データとして利用します。そこから照射パターンを抽出し、線量分布をROI(Region of Interest:関心領域)ごとに区切って転送した情報を“線”として扱い、再現計算を行います。
このROIとは、治療上重要となる腫瘍や臓器を領域ごとに指定したもので、必要な部位だけを切り出すことでデータが簡略化されます。全体の線量分布図を扱うのではなく、ROI単位で情報を整理するため、施設間でも容易にやり取りできるという利点があり、異なる治療装置や環境下でも計画の共有と再現性が高まります。
この革新的な仕組みは、複雑な医学的判断の一部を単純化し、技術的な再現性に特化できる点にあります。その結果、専門知識や経験が浅い人でも、システムの操作を習得すれば熟練者と同等の治療計画を作成できる可能性が開かれました。
実際の検証では、医学部学生がシステムを用いて作成した治療計画が、熟練した医学物理士の計画と遜色ない結果を示しました。これは、従来は長期間の訓練を要した作業が、適切なツールを活用することで短期間で習得可能であることを示しています。
今後、この技術が最も大きなインパクトを与えると期待されるのは、専門人材の確保が困難な地域の医療機関です。AIによる技術支援は、医療の質を高めるだけでなく、地域格差の是正にも大きく貢献する可能性があります。
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さらに、北海道大学や熊本大学との連携では、食道がんや脳腫瘍といった新たながん種への適用拡大に向けた研究が進められている。
「各大学の専門領域とアイラトのAI技術を組み合わせることで、日本の放射線治療における知見を結集し、世界最高水準の治療計画システムの開発を目指していきたいです」と未来に向けた抱負を角谷代表は話す。
新しいAI技術によって、アイラトが目指すこれからの医療領域
「現在、約50の医療機関に対してアプローチを行っており、そのうち20施設程度が高い関心を示してくれていますが、これは医療現場が抱える人手不足と業務効率化への強いニーズが背景にあると考えます。特に地方の医療機関では、限られた人的リソースの中で高度な放射線治療を提供する必要があり、AI技術による業務効率化への期待は極めて高いと感じています」と話す角谷代表。
AI技術により治療計画時間を大幅に短縮することで、心理的障壁を取り除き、より多くの患者が高度な放射線治療の恩恵を受けられる環境の整備を目指している。最終的には、世界標準である3割程度の普及率達成を目標としており、これが実現されれば年間数万人規模の患者の治療選択肢拡大につながることが期待される。対象部位についても戦略的な展開が計画されていて、当初は放射線治療が適用される上位4つのがん種に焦点を絞り、段階的に適用範囲を拡大していく方針である。
「地方医療の質向上にも貢献できると自負しています。人的リソースに制約のある地方医療機関でも、AI技術により都市部の大学病院と同等レベルの高度な放射線治療を提供できるようになれば、医療格差の解消にも大きく寄与することになると考えます。」
アイラトの挑戦は、技術革新による医療現場の課題解決という、まさに社会実装型イノベーションの典型例といえる。医療AI技術の発展とともに、より多くの患者が最適な治療を受けられる社会の実現に向けて、その歩みは着実に進んでいる。
アイラト株式会社
宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉468-1
東北大学マテリアル・イノベーション・センター青葉山ガレージ内
HP:https://airato.jp/