新しいローカルのプロトタイプづくり。震災後の街を世界一面白くする革命とは
Vol.38
一般社団法人 ISHINOMAKI 2.0
一般社団法人 ISHINOMAKI2.0は、「世界で一番面白い街を作ろう」を合言葉に、高校生、企業、大学、専門家、行政など、ありとあらゆるつながりやネットワークをフラットに構築し、世界が応用しうる「新しいローカルのプロトタイプづくり」を推進する組織である。3.11東日本大震災発生からまだ間もない2011年の春、震源地に最も近い自治体だった石巻市で、瓦礫だらけとなった街の中からISHINOMAKI2.0は誕生。以来、移住ガイド、カフェ&ショップ、不動産、地域のおもしろ仕事体験ガイドなど、多岐にわたるプロジェクトを展開。石巻の街をより面白くするため、さまざまなチャレンジャーたちを糾合しながら拡大を続けている。3.11を契機につながった地域内外の情熱のストーリーを、代表理事である松村 豪太(まつむら ごうた)さんにお話しいただいた。
震災を経験したからこそ、必要だと思った「人のつながり」
石巻生まれ・石巻育ちの松村さんは、大学で憲法を専攻し、大学院修了後はバーテンダーなどの経歴を経て、NPO法人でスポーツを通したまちづくり活動を行うようになったという。 「東北の地方都市はよく保守的だの閉鎖的だのと言われてきましたが、石巻も例外ではありませんでした。当時は国全体として地域の価値に対する意識がまだ薄かったこともあり、多くの地元の人たちは社会の狭さに、閉塞感や物足りなさを感じていたのではないかと思います」。 そんな松村さんの人生を大きく変えた出来事が、あの3.11東日本大震災だった。石巻は震源地である三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近に最も近い街として、甚大な被害を受けている。震災発生後、しばらくの間、街の人たちが生きるために必死だったことは言うまでもない。 松村さんは、勤務中に津波被害に遭い、自宅も半壊した。しかし、瓦礫撤去、泥かき、仮設住宅団地のコミュニティー形成など建設的な取り組みに奔走し、石巻中央部の復興活動の中心的役割を担うようになっていく。 「街の被災状況などをブログで発信していたのですが、首都圏を中心に多くの人たちから励ましのコメントやツイートをいただきましたね。また、ボランティアの方々との出会いもたくさんありました。この経験を通し、志を持って外から応援に来てくれる人たちと手を結べば、この街をより良い姿へ変えていけるのではないか。今まで自分たちが感じてきた閉塞感や物足りなさを払拭できるのではないか、と考えるようになっていったのです」と松村さん。 実際、ISHINOMAKI2.0の最大の強みである「地域のプレイヤーたちによるネットワーク」は、このとき出会った仲間たちを中心につくられていくことになる。震災という大きな出来事は、壊滅的な被害をもたらす一方で、石巻の街が新しく生まれ変わるために必要不可欠な、「新たな人のつながり」も呼び起こしたのだった。
今こそ、自粛ではなく、「面白いコト」「今までなかったコト」をやってみよう
「新しいローカルのプロトタイプを築き、世界へ発信」することを目的にスタートしたISHINOMAKI2.0。はじめの1年は、まず地域に眠る「面白いコト」の掘り起こしと、「今までなかったコト」を創出することから始めていった、と松村さんは話す。 「震災が起こったばかりで、世の中はまだまだ重苦しいムードに包まれていました。しかし、だからといって自粛するのは違うのではないか、と思ったのです。復興を目指す…いや、何がなんでも復興してこのまちを立て直さなければならないからこそ、地域を見つめ直し、外にある新しい価値観もどんどん取り入れて、“石巻のいま”を発信していくべきだと考えました」。 こういった松村さんの前向きに現実と向き合う姿勢は、着実にカタチとなっていく。もともと石巻には、ディープな飲み屋や飲食店などがたくさんあり、地域の「DEEP CULTURE=おもしろいコト」として発信するには申し分ないコンテンツが豊富だった。松村さんは、そういった魅力ある地域資源を発信し、コンテンツへと磨き上げ、発信する取り組みを推進していったのである。 また、すでに海外ではメジャーになっていたものの、日本ではまだまだ認知されていなかった「ゲストハウス」「バックパッカー」などを柱に据えた観光系事業を展開したり、『READYFOR』が立ち上がったばかりだった頃にクラウドファンディングサービスへ参加したりと、新しい取り組みにも積極的にチャレンジしていくのだった。 やがてISHINOMAKI2.0は設立の翌年2012年に法人格を取得。まちづくりや地方創生をはじめとする県や市の委託事業も受託し、実績を積み重ねていった。 「あくまでフラットに人とつながる。それを意識した結果が、プロジェクトや実績の拡大に直結していると思っています。モノ・コトに加えて、ヒトづくりもやっていこう、そうすると仲間が増える分、視点も変わり広がるので、新たな取り組みも生まれやすい。だから今もこれからも、ISHINOMAKI2.0は組織の名前というより、みんなで一緒に楽しみを創り出す“革命”のようなものでありたいと思っています」と松村さんは意欲を燃やす。 ISHINOMAKI2.0の目指す「世界で一番面白い街づくり」を実現するのは、地域のプレイヤーたちである。松村さんは、その地域のプレイヤーとなる人を一人でも増やすため、「人の誘致」を提唱し続けている。「面白い人たちに、この街を選んでもらえたら嬉しい」と松村さん。立場の違う人たちが、自由に、地域を面白くするという共通の目標に向かい、新たなつながりを創造していく。これこそが東北にとって、地域にとっての目指すべき未来像ではないだろうか。
自由でオープンな『IRORI石巻』。だから、人が集まり交流する
ISHINOMAKI2.0が展開するプロジェクトの一つに、カフェも併設したオープンシェアオフィスの運営がある。「再生と革新のための交流の部屋=Interaction Room Of Revitalization and Innovation」をコンセプトに掲げた『IRORI石巻』だ。石巻市中心部の商店街の一角にあり、門戸の開かれたオープンな佇まいのこのシェアオフィスは、世界中から人が集まり、思いを語り、時には共にお茶を飲み、未来へのアイディアを紡いでいくための場として2011年12月から提供しているそう。オープン当初は照明もないガレージだったが、石巻工房とアメリカの家具メーカー「ハーマンミラー」の職人など多くの方たちの協力により大幅な改修を行ったことで、街に開かれた公共的な場所へと生まれ変わり、現在に至っている。 「ISHINOMAKI2.0立ち上げ時は活動拠点もなく、ミーティングなどはメンバーの自宅で行っていました。そのためIRORI石巻も、自分たちの活動拠点たる事務所を設けたいというのがスタートだったのですが、やがて“みんなが利用できる、ひらかれたオフィスがあったら街の活性化も加速するのではないか”と考えるようになったことで、オープン化に至りました。世の中にまだコワーキングスペースというものが定着していなかった頃でしたね」と話す松村さん、IRORI石巻の使い方は基本的に「自由です」とも。 その言葉のとおり、学生が演劇イベントを催したり、アカデミックな方々が集まってディスカッションしたりと、さまざまな用途で活用されている。そのほか、クリエイターや建築家の方の利用も多いそう。 また、商店街の中にあるオープンシェアオフィスということで、ながく石巻に住んでいる高齢者と、震災後に移住してきた若者たちとの交流の場としても、IRORI石巻は役割を担っている。「世界一面白い街」を目指す石巻の中心には、世界に誇るべき、人々の交流と共創のモデルが存在していた。
ここで築くプロトタイプは、地域とプレイヤーがWin-Winの関係になること
IRORI石巻のほかにも、多岐にわたるプロジェクトを展開するISHINOMAKI2.0。今後、その他のプロジェクトについても継続的に取材させていただくことを快諾してくれた松村さん。最後に、これからのISHINOMAKI2.0の目標について話してくれた。 「面白いコトや今までなかったコトをやるといっても、そこに事業性と利益追求の視点がなければいけません。そういった意味では、Win-Winの状態を目指していきたい。収支をしっかり見ながら、プロジェクトを慈善活動としてではなく、一事業として、推進していこうと考えています。そして、石巻で築いた新しいローカルのプロトタイプを、他の地域や海外に向けて発信し、波及効果をもたらせるようにしていきたいですね」。 震災以降、人々の地域への概念や見方は大きく変わった。松村さんの言葉にあったように、ISHINOMAKI2.0の名前が組織の名称ではなく、街を面白くする「革命」として認知され、新しい地域の在り方を世界へ示しつつあることは、間違いない。
一般社団法人 ISHINOMAKI2.0
住所:宮城県石巻市中央2丁目10-2
TEL:0225-25-4953