家族の絆が生み出す、穿きやすくて高品質な栗駒ジーンズ。

Vol.14
CL factory(シーエルファクトリー)

宮城県北・内陸部に位置する栗原市は、栗駒山、伊豆沼・内沼、花山そば、岩魚丼、旧奥州街道、近代文化産業遺産群など、自然の恵みを受けた観光資源が豊富な地域。仙台市中心部から車で約1時間30分という良好なアクセスも魅力で、栗駒岩ケ崎六日町という地区にある六日町通り商店街では、ここ数年で地域おこし協力隊や新しく起業する人たちが増えている。
その六日町通り商店街の一角にショップを構え、『栗駒ジーンズ』として地元発のオリジナルジーンズを企画・製造・販売するブランドがある。自らを「根っからのジーンズ好き」と称する、狩野 芳徳(かの よしのり)さんプロデュースの『CANN LINE JEANS(キャノラインジーンズ)』だ。

日々、ジーンズにふれ、ジーンズを作る。そんな環境で生まれ育った

狩野さんは、ジーンズの縫製工場を経営する両親のもとに生まれた。物心ついた時から、日々ジーンズにふれ、ジーンズが作られる様子を見ながら育つ。幼い頃からジーンズが生活の一部だった狩野さんにとって、自分の将来の道はジーンズ屋しかないと考えるのはごく自然だった。
父・英徳さんが代表取締役を務めながら現在も経営する縫製工場は、かつて大手ジーンズメーカーのOEMを40年以上も請け負っていた。しかし、製造コストの削減や大量生産方式の発展により、大手ジーンズメーカーの製造拠点は次々に海外へと移転。この頃、狩野さんは既に英徳さんの縫製工場で働いていたが、メーカーからの受注がどんどん減っていき、経営は厳しくなる一方だったという。当時を振り返りながら、狩野さんはこう話してくれた。
「たしかに、厳しい時期ではありました。しかし、その逆境とも言える状況があったからこそ、負けたくないという思いで『CANN LINE JEANS』という自社ブランドを立ち上げようと決意しました。ピンチはかえってチャンスに、原動力になったと思っています」。

ジーンズへの情熱と、勝つための戦略と。自社ブランド『CANN LINE JEANS』立ち上げへ

自らを「根っからのジーンズ好き」と称する狩野 芳徳(かの よしのり)さん。

狩野さんが描いた『CANN LINE JEANS』のブランドビジョンは、自分たちが長い時間をかけて培ってきた縫製技術と経験を活かし、企画から製造、販売までを一貫して自社で行うというもの。考えただけでワクワクする理想とは裏腹に、実現のためには多額の先行投資が必要だった。また、何より、これまでの大手ジーンズメーカーのOEM製造と比較すると事業の安定性で劣るのは明らかである。英徳さんも「そんなに甘くない」と反対した。
しかし狩野さんは、大手から仕事をもらう(受注する)ことを基本とした工場経営の在り方に行き詰まりを感じており、その打開のためにも「自分たちのブランドをつくって発信していくことが必要」と考えていた。たんにジーンズが好きだから、情熱があるからという理由だけでブランドを立ち上げるのではない。逆境から学んだ、勝つための戦略を実行に移すことで、人生にチャレンジするのだ、と。決意は固かった。
その後、縫製工場のスタッフやジーンズ仲間、英徳さんら家族の理解・支援もあって、2006年、『CANN LINE JEANS』はスタートした。

試着一発目で穿きやすいと思える。それが『CANN LINE JEANS』のコンセプト

『CANN LINE JEANS』は、試着時から穿きやすいと思えるジーンズづくりを目指している。この「穿きやすさ」にこだわる背景には、自身が育った環境と、そこで養われた感性が大きく関係していると狩野さんは話す。
「普通の人からすれば特殊と思われるでしょうが、私はジーンズ好きとしては非常にラッキーな、恵まれた環境で育ちました。私の生活の中には、いつでもジーンズがあったのです。だからまず、自分の生活に寄り添ってくれることで、自分が毎日でも穿きたい、穿きやすいと思えるジーンズを作ろうと考えました」。
毎日でも穿きたくなるジーンズの要件とは、「試着の段階から穿きやすいこと」だと狩野さんは言う。そしてそれを生み出すには、作り手のたしかな技術と経験が必要だ、とも。
「縫製工場時代、大手ジーンズメーカーの製品を手がける中で、流行・定番のデザインや生地の質などを徹底的に研究しました。その努力があったからこそ、日本のジーンズ史を支えるに値する、たしかな技術と経験が培われたと思います。『CANN LINE JEANS』は、この技術と経験をしっかり受け継ぎ、活かしながら、日本人の体型にフィットして毎日穿いてもストレスを感じない。そんなジーンズづくりを目指しています」。

仙台での店舗運営を経験後、ブランド拠点を地元・栗原に移す

地元・栗原に戻り現在の直営店をオープン。

ブランドを立ち上げてから、はじめのうちは栗原の縫製工場で製造を行いながら、仙台の大型ショッピング施設内に店舗を構え、そこに販売機能を集約させていた。仙台でショップを営む間、さまざまなお客さんやファンになってくれる人たちとの出会いがあり、ブランドの顧客基盤を固めることができた。
やがて狩野さんは地元・栗原に戻りそこで新しいショップをオープンさせ、地域の活性化に貢献したいという思いを強めていく。
「地元・栗原は、地域の担い手不足という課題を抱えていました。移住定住支援制度の導入など行政によるさまざまな施策をチェックしてみたら、起業したい人や、私のように新しいショップを開きたいと考えている人にとってはチャンスだと感じましたね。地元に戻り、お世話になったぶんの恩返しをするつもりで、街のにぎわい再生や雇用創出に貢献しようと考えました」。
程なく狩野さんは仙台のショップを閉め、地元・栗原にブランド拠点を移転した。製造拠点・英徳さんの縫製工場から車で5分ほどの六日町通り商店街に、念願の直営店をオープンさせたのである。
「今後、店の売り場を改装して今よりもっと広くしたり、ジーンズ以外の商品も作って販売したりと、やりたいことはたくさんあります。積極的に販路を拡大していきたいですし、栗駒産のコットン(綿)を使ったジーンズ開発にも挑戦中です」。
ブランドは本年2022年に16年目を迎えたが、狩野さんの夢は膨らむばかりだ。

『CANN LINE JEANS』は「オール狩野家」で盛り上げていく

熟練の技と経験を持つ父・英徳さん。

狩野さんのインタビューを終えたあと、取材班は英徳さんがいる縫製工場に向かった。広がるノスタルジックな田園風景。かつてこの地域一帯を走り、人々や観光客に愛されていた『くりはら田園鉄道』の線路跡もある。この田園地帯の真ん中に、工場は建っていた。
玄関からは、商売道具として大切に使い込まれてきたであろうミシンが数台並び、まるで昭和にタイムスリップしたかのような懐かしい雰囲気の作業場が見える。奥から英徳さんが現れた。「やあ、どうぞどうぞ」と言って、工場の作業場を撮影させてくれる英徳さん。作業場には、狩野さんの母と弟の姿もあった。
撮影後は応接間で懇談。そこで見たのは、なんと編み込みのショート丈デニム。英徳さんの丁寧且つ熟練の手作業によって作られた、貴重なアイテムだった。その貴重なアイテムを目の前に、英徳さんは息子の狩野さんの生き様や『CANN LINE JEANS』について、思うところを話してくれた。
「息子(狩野さん)の将来について、父親としては今でも心配しています。ただ、本人が覚悟を決めている以上、何も言いません。こうなったら私もはらを決めて、家族一丸となって狩野の名に恥じないブランドにしていくつもりですよ」。
『CANN LINE JEANS』の名は、狩野家の姓と、大切に育ててきた工場の製造ライン、その両方を冠したものだ。そこからは、狩野家の強い絆を感じる。これからも栗原発ブランドとして、地域を盛り上げていくに違いない。
なお、狩野さん英徳さんら家族はお笑いタレント・狩野英孝さんと近い親戚だと言う。英孝さんも、テレビなどで積極的にブランドをPRしてくれているそう。狩野家の絆は強く、そして広くもあるようだ。

CL factory(シーエルファクトリー)
住所:宮城県栗原市栗駒岩ヶ崎六日町56
TEL:0228-25-4262

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