医学と工学との融合領域が、医療と福祉の新しい可能性を拓く
Vol.53 東北大学大学院医工学研究科
医学と工学。この一見結びつかない2つの学問領域を、深く融合させた東北大学大学院医工学研究科。日本初の医工学専門の大学院として設立され、かつ「医工学研究科」としては国内唯一の存在だという。この聞きなれない新しい発想の学問・研究領域は、どのような発想で生まれ、どのような展開を目指すのか? 未来に向け大きな学問研究体系として発展することが期待されている医工学研究科を取材した。
医学と工学を融合させる新しい学問領域として誕生
医工学。医学・生物学と工学の境界領域を埋めると共に、これらを深く融合させることによって革新的な医学と工学の発展を目指す学問分野だ。
西條芳文医工学研究科教授・研究科長は言う。
「日本の医工学連携はこの地・仙台に始まったのです。我が大学では工学と医学との連携の歴史は長く、共同研究がはじまったのは大正時代です」。
歴史を紐解いてみよう。1929年、工学部電気工学科の抜山平一教授と医学部小児科学の佐藤彰教授による真空管式高音聴診器の共同開発。日本初の医工学連携として、東北大学は広く知られることとなった。1962年には、抗酸菌病研究所(加齢医学研究所)の田中元直教授が、電気通信研究所の菊地喜充教授との共同研究によって、世界初の心臓断層像の撮影に成功した。
2000年代に入ると、「ナノ医工学」という言葉が出てきて、21世紀COEプログラムを活用した「バイオナノテクノロジー基盤未来医工学(FMBE)」が立ち上がった。「医工連携」を明確に打ち出したプログラムで、予防医学技術とテーラーメイド医療のための「未来医工学」の国際的な研究拠点を形成するために推進された。2003年には、東北大学先進医工学研究機構(TUBERO)が設置された。
「そして、2008年にこの東北大学に日本で初めて医工学連携を進める研究者を集めた医工学研究科が誕生しました。一丸となって工学の力で医療を変革する研究教育体制を整えました」。
単にふたつの領域の知識の吸収・修養ではない。工学の知識や技術を駆使して、生命の本質に迫り、科学的に解明することにより、革新的な医学と工学の発展を目指すという明確なミッションを持つ。今後は、ひとつの大きな学問研究体系として発展することが期待されているという。
11講座・3センター・44研究室、多岐にわたる研究領域
「伝統のうえに加えられる新たな研究・開発の取り組み。開かれた教育・研究体制で幅広い研究領域をカバーしています」と西條研究科長が話すように、医工学研究科では、以下の11の領域(講座)における研究を推進している。
○計測・診断医工学、○治療医工学、○生体機械システム医工学、○生体再生医工学、○社会医工学、○医療機器創生医工学、○生体流動システム医工学、○人工臓器医工学、○生体材料学、○生体システム制御医工学、○生体情報システム学
この11の領域の中に44の研究室が用意されている。国内唯一の専門大学院だけあって、実にその研究領域は多岐にわたっている。
「さらに、2014年7月に医工学研究科に研究センターを設置しました。研究センターの目的は、本研究科に所属する研究者を中心に学内外の研究者・企業との共同研究および国際展開を推進することです。研究センターは、講座・研究分野の枠にとらわれず、プロジェクトに応じて参加する研究者で構成されています」。
研究センターには、医工学の観点からがんの医工学を推進できる組織横断的な教育・研究体制を図り、がんに苦しむ患者の根絶を目的に研究活動を行なっている「がん医工学センター」、医療従事者の臨床ニーズに研究者が有する工学的シーズをマッチングさせ、医療機器のプロトタイプを作製し、臨床治験への展開を図る「医療機器創生開発センター」がある。
スタートアップを目指す学生も多数輩出
大学院の研究科であるために、研究だけではなく教育にも力を入れていることが大きな特徴だ。
「医療・福祉における科学技術の発展と革新を担うことができる人材育成に励んでいます。医療機器開発や医療機器のイノベーションを担う人材の育成が目標です」と話す西條研究科長。講座にも積極的に、デザイン思考を導入している。デザイン思考とは、まずは医療現場のニーズを見つけ出し、その解決策を発想し、最終的な解決策に近づくために試作品(=プロトタイプ)を作り、繰り返し検証していくプロセスだ。
医療機器創生開発センター長も兼ねる西條研究科長は言う。
「医療機器は医薬品と比較して、その種類が多く、使用用途も多岐にわたっているため、臨床ニーズを的確に反映した機器を個別に開発することが求められます。ですので、しっかり医療従事者の臨床ニーズを受け止め研究者が有する工学的シーズとマッチングさせる必要があります」。
研究室に手伝ってもらって医療機器のプロトタイプを作製しているが、作ることが好きな学生が多いのもこの研究科の特徴だ。東北大学病院臨床研究推進センターと連携して動物実験などの前臨床試験や臨床治験への展開も図っているという。
「医工学研究科は多くの医療機器に関わる企業と共同研究もおこなっています。工学部の先生が多いため、工学技術を利用した企業とのコラボも多数実績があります」。
この実学をベースにした教育により、ものづくりや起業に意識を持った学生が育っていくようだ。
「医療機器のディーラーに就職して、起業するという人も出てきています。マインドを持って入った学生は独立しています。長いスパンで見た教育をしているという自負はあります」と西條研究科長が話すように音響工学でがん患者さんに新たな未来をもたらす「ソニア・セラピューティクス株式会社」や、バイオニックヒューマノイドが拓く新産業革命での技術開発を行う「Blue Practices株式会社」など医工学研究科と連携した大学発ベンチャーも多数生み出している。これからの医療・福祉における科学技術の発展を担う人材育成と技術開発が進んでいる。
以下に多彩な研究領域から具体的な3つの研究室の研究事例を紹介したい。
<研究室紹介①>
「MEMS技術を活用した新しい医療機器開発」
医工学専攻 医療機器創生医工学講座(ナノデバイス医工学分野) 芳賀洋一研究室
芳賀研究室のキーとなっている技術が、MEMS(メムス/Micro Electro Mechanical Systems:微小電気機械システム)というものだ。基本技術は半導体素子の微細加工技術を応用・発展させ、シリコン基板上にセンサを回路や可動機構などと一体化して量産する技術で、機械要素部品、センサ・アクチュエータ・電子回路などに活用されている。
「このMEMS技術を医療に活かせないか、と考えたのです。体内に使う医療機器は安全性の面から1回使い捨てが望ましく、簡便に大量生産できるMEMS技術は医療と相性がいいと思います」と芳賀教授。このMEMS技術を駆使して,小さく高機能,多機能な内視鏡やカテーテル、マイクロセンサ、マイクロアクチュエータなどの運動機構を一括で、かつ低コストに組み立てる研究開発を行っている。具体的な1例として、体内狭所での圧力測定を可能にする外径125μmの極細径光ファイバ圧力センサがある。
「カテーテル治療などにおいて血管内局所の血圧などを測定するためのものです。MEMS技術で光ファイバー端面に薄い膜を作っているのですが、圧力によるダイアフラムのたわみを光の干渉現象を用いて計測することができます」。このセンサは、原理上、医療現場における電波や磁気などによる影響を受けないというメリットがある。また、MEMS技術を用いているので、一括に大量のセンサチップを作製できるため低コスト化も可能だ。
芳賀教授は、MEMS技術には医療における様々な可能性が秘められていると考える。「将来的には、体内に送り込まれた複数のマイクロロボットの共同作業による精密外科手術も可能になると考えています。また、血管や脳などの臓器モデルにマイクロセンサを搭載することにより、医師の手術トレーニングや、新たに開発された医療機器の安全性や効果の定量的評価にも役立てることができると考えられます」と、医工学領域での幅広い活用の可能性を述べる。
<研究室紹介②>
「大気圧プラズマジェットを医療へ応用する『プラズマ医療』研究」
医工学専攻 生体機械システム医工学講座(病態ナノシステム医工学分野) 神﨑展研究室
「プラズマをご存知ですか。オーロラ、太陽など自然発生するものから、蛍光灯など人工的に発生させるものなど数多くあり、物質の第4状態と呼ばれ、高いエネルギーを加え続けることで生成したイオンやラジカル(不対電子を持つ原子や分子)を含む状態のことです。最近このプラズマを大気圧で低温で生体に照射できるようになりました」と神﨑教授は話すように、近年、低温な大気圧プラズマジェットを医療へ応用する「プラズマ医療」の研究が進んでいて、がん治療、創傷治癒、低侵襲止血、遺伝子導入などで有効だという報告が数多くあがっているという。「大気圧プラズマが生成する活性酸素種・窒素種が治療効果を生んでいることは言われています。しかし、細胞が感知できる活性種の種類や感知する機構については不明な点が多くありました」と話す神﨑教授。
神﨑教授が着目したのが、幅広い細胞応答に関連する細胞内のカルシウム濃度。大気圧プラズマを照射した生理食塩水を細胞に加えた後どのような変化が起きるかを実験した。
プラズマを数秒照射した生理食塩水を細胞に滴下する。すると、生理的なレベルの細胞内カルシウム上昇が見られた。この細胞内カルシウム濃度上昇は、TRPチャネルがない場合には見られないため、細胞外から細胞内へTRPチャネルを介してカルシウムが流入していることも分かった。
「TRPチャネルを介したカルシウム流入は、さまざまな細胞で重要な役割を担っています。例えば神経細胞では、TRPチャネルは人間が痛みや熱さ・冷たさ、味覚を感じるセンサーとして働くといわれています。今回の発見は、プラズマの作用機構を理解するための新たな視点となるもので、プラズマ医療科学の発展につながることが期待されます」。
<研究室紹介③>
「生体融和型のマイクロナノスケール集積システムを創成」
医工学専攻 生体機械システム医工学講座(医用ナノシステム学研究分野)田中徹研究室
「もともと、半導体工学が専門の民間企業で15年ほどスーパーコンピューター用集積回路の開発を行っていました。そのノウハウをベースに、3次元集積回路を生体に導入して活かしていくことができないかと考え、生体の機能を回復させるデバイスの研究開発をスタートさせました」と話す田中教授。
3次元の集積回路が生体応用に有利であるための理由は、①網膜や脳は層構造なので、そこに埋め込むデバイスも層構造である方が機能を模擬するなど適応させやすいこと、②集積回路チップを非常に薄くして積み重ね、平面よりも短い配線でつなぐので高性能であること等が挙げられる。研究室では現在、半導体神経工学に基づいて、医療や生体に関する研究に使われる生体融和型のマイクロナノスケール集積システムを創成することに取り組んでいる。
「現在進めているものが、目の不自由な方のために人工的に視覚を取り戻す人工網膜の開発です。加齢黄斑変性や網膜色素変性症といった病気で失明する患者さんが増加していますが、視細胞以外の網膜細胞は高い確率で生存していることがわかっています。そこで、カメラなどに使用されているイメージセンサーを使って光を電気に変換し、その電気信号を神経系に伝えることで視覚を再生できるのではないかという発想で研究を進めています 」。
集積回路チップを多層積層することで作製する3次元集積回路の人工網膜。1層目は受光素子層で、光を電気信号に変換する。2層目は カメラの顔認識などのように対象の輪郭を検出する機能と細胞を刺激するための電流を生成する。この積層したチップを網膜に取り付けると、光を感知して画像処理を行い、刺激電流を生成して網膜を電気刺激することが可能になる。積層構造なので小面積でありながら高機能である。3次元集積回路は人工網膜には非常に適していると言える。
「この技術を用いて1300画素程度の人工網膜の作製を目指しています。1300画素あれば、例えば、人の顔の識別や、歩道と車道を見分けることができると思います。5年、10年といった期間で、相応の機能のものを世の中に出していくことを意識して研究しています」。
東北大学大学院医工学研究科
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