木製知育玩具『もくロック』で100年先まで続く山形ブランドをつくる。

Vol.05
株式会社ニューテックシンセイ

仙台市中心部から車で1時間30分ほどの置賜地方は、山形県の最も南に位置し、東側を奥羽山系、南側を吾妻山系に囲まれた山間地域だ。この地域の自然環境を活かしたものづくりによって、新たな山形ブランドを推進し、世界に向けて発信している企業がある。置賜地方の中心・米沢市に本社と生産拠点を置き、木製知育玩具『もくロック』を製造・販売する、株式会社ニューテックシンセイである。

1980年7月、精密機器を生産する会社としてスタート

ニューテックシンセイは1980年7月に『新星電子有限会社』として設立。主にテレビなど精密機器の生産を行っていた。翌1981年11月には米沢日本電気㈱(現在のNECパーソナルコンピュータ株式会社米沢事業場)と取引開始。OA機器生産工場として一定の地位を確立し、その後も順調に事業を拡大させていく。社名を現在の『株式会社ニューテックシンセイ』に改めたのは1992年7月だ。
OA機器の生産事業をメインに展開し、着実に実績も積んでいたが、2011年から、これまでとは作るモノがまったく違う「木製知育玩具の製造・販売事業」を開始。新事業の『もくロック』は製造・販売に止まらず、地域の子どもたちへの木育(木材を通じた環境学習)や、循環型社会のための里山づくりといったSDGsへの貢献など様々な地域貢献活動に展開。今や山形ブランドを象徴する一地域資源として、ブランドの存在感を強めている。精密機器やOA機器の生産は2022年5月現在も継続しているが、この『もくロック』は発売以来、好調ぶりが顕著。会社としても力を入れている事業の一つになっている。『もくロック』の開発に至った経緯から、発売当時のこと、これからのビジョンについて、代表取締役・桒原晃(くわばらあきら)社長に話を聞いた。

あえて“今までやったことのない分野”に挑戦

桒原社長の話によると、『もくロック』開発に至る背景には、OA機器などの生産拠点の海外流出があった。主な流出先として挙げられる中国では、1992年頃から急激な経済成長が始まり、2000年になるとそれがますます本格化した。同時に中国は物凄い勢いでものづくり技術も発達させたため、日本にあったOA機器などのものづくりの生産拠点が次々に移転していったのである。
このとき、ニューテックシンセイの事業も少なからず影響を受けている。主要取引先のOA機器事業の切り離しや中国企業との提携などを目の当たりにするたび、危機感が強まっていった。しかし、桒原社長の口からは意外な言葉が発せられた。
「あの危機感を味わったからこそ、これまでにない発想やアイデアとともに、『もくロック』という新たな事業の構想が浮かびました」。

「逆境の中から新事業の構想が浮かんだ」と話す桒原社長。

危機感の先に新事業の構想が浮かぶとは、一体どういうことだろう。
「他にはない、競合の少ない事業をやろうと考えました。だからまず、同じ土俵(競争が激化する市場)で勝負することはせず、あえてOA機器や精密機器でないモノをつくることにしたのです。その答えが“地域の資源を活かした自社発のブランド”をつくることでした」。
桒原社長の決断は決して“逃げ”ではない。競争原理の領域から脱却を図ろうとはしたものの、自社発のブランドをつくることは、変化する市場の影響をいちいち受けないようにするための“戦略”だからだ。持続可能な経営をしていくための英断だったことは想像に難くない。確かな戦略の下、危機的な状況からの好転をかけて、『もくロック』の開発はスタートした。

地元・山形でものづくりの仕事をする。その誇りを取り戻すために

『もくロック』の強みは、何と言っても“県産木材”を使った知育玩具であるという点だ。山形の地域資源を活かすことで、多くの県民の共感を呼び、連携も生んできた。そのようにして、自社と地域との両方のブランディングを推進している。
「今までやったことのない事業、という意味では矛盾があるかもしれませんが、これまで培ってきた精密機器を製造する技術は、木材を使ったものづくりにも活かすことができました。例えば、精密機器の製造現場では1/100ミリのレベルで作業をするのがあたりまえなので、細かな作業を得意とします。そのようなミクロな世界でものづくりを行ってきた自分たちだからこそ、木材では困難とされる緻密で繊細な作業にも難なく対応できました。これまでの努力が報われた気がしましたね」。

しかしそれでも、開発への道のりは険しかった。自然素材は生き物と同じで湿気や乾燥に敏感なため、すぐに大きさが変わってしまう。そこにカットや組み立てといった加工を施すには、素材を一定の大きさに保つための徹底した温度・湿度の管理が必要だった。
「たくさんの壁にぶつかりましたが、山形大学や県工業技術センター、木材加工関係者の方々が協力してくださったおかげで、何とか乗り越えられました。人に恵まれたのは、本当に有難いことでした」。
また、桒原社長は、”山形イタリアン”でその名を馳せる『アル・ケッチァーノ』の奥田政行シェフや、かつては斜陽産業と言われていた紡績業を生業としながらも、糸づくりから製品の仕上げに至るすべての工程において「日本のものづくり」を大切にし、多くのファンづくりを果たしている『佐藤繊維株式会社』(山形県寒河江市)の姿勢に感銘を受けたと言う。
「奥田氏と佐藤氏で共通しているのは、”山形にしかないもの、山形でしか出来ないこと”を価値として提供しているところでした。奇をてらったような特別なことをするのではなく、大量生産に走るのでもない。その地域で継承されてきた資源や伝統技術をいかに活かし、付加価値とともに届けるか。そこに人は共感し、感動して、ファンになってくれるということを学びました。私たちにできることは、山形で最高のものづくりをすること。自社と地域にその誇りを取り戻そう、と決意しました」。
たくさんの苦労と出会いを経て、開発は成功。2012年6月、木製知育玩具『もくロック』はついに完成した。

発売から2年半。『メゾン・エ・オブジェ』で受賞

発売後も人との出会いに恵まれ、『もくロック』の販路開拓は順調に進む。創業122年の老舗玩具店『銀座 博品館』をはじめ、大手百貨店の『日本橋 三越』やアパレルセレクトショップ『BEAMS』などでの販売が次々と決まっていった。そのような中、『BEAMS』のバイヤーから、パリで開催される『メゾン・エ・オブジェ』への『もくロック』の出展を提案される。『メゾン・エ・オブジェ』と言えば、世界最高峰のインテリア&デザインのトレードショーで、クリエーションの中心都市パリで開催される大イベントだ。”物は試し”で出展したところ、なんと環境配慮に取り組む企業に贈られる『グリーン・アイテナリー賞』を受賞したのである。
「本当に驚きでした。受賞の重みは、記念の盾を手にしてみて、より強く実感しましたね」。
輝かしい実績を話すときも浮かれる様子はなく、謙虚な桒原社長。しかし、自ら構想し、開発し、売り広めてきた『もくロック』が、危機的な状況にあった会社にとって一つの希望になったことは確かである。その表情は穏やかであり、誇らしげでもあった。

『グリーン・アイテナリー賞』受賞記念の盾。発売から2年半での受賞に手応えを感じる。

地域の資源を活かしたものづくりのチカラで、未来を牽引する

近年の『もくロック』は、事業面において、地域の子どもたちへの木育や循環型社会を目指した里山づくりなど、さまざまな社会貢献活動に展開している。製品としては、地元・米沢の魅力をPRする上で欠かせない、まちの名物となっている。最後に、桒原社長に『もくロック』のこれからのビジョンを語ってもらった。

「私は地元・山形と子どもたちが大好きです。大好きな地域の未来のために、そこにある資源を活かしながら、子どもたちの役に立ちたいと考えています。また、私たちの心の中にはものづくりに対する情熱と誇りがあります。ものづくりのチカラをもって、100年先まで持続する山形ブランドを育てていきたい」。
小さな木製知育玩具『もくロック』は、危機感の中から生まれたが、作り手の思い一つで、地域に希望を、自社に好機をもたらすブランドとして、大きく開花したのだ。

株式会社ニューテックシンセイ
住所:山形県米沢市花沢3075-1
TEL:0238-21-3155

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